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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

亀田選手の会見から感じたこと。


先に言っておくと、反則を犯した選手に対しては厳正な処罰を取るべきである。それは変わらない。頭が真っ白だったとか、勝ちたかったとか、そんなことはあくまで各陣営の理由であって、それが正当化を伴うことはない。真摯にルールに沿った上で、ルールの範囲内で、最大限の努力をすべき。

ここで書き記したいことは、その後のメディアの対応を考察してみたい。

ネット上で色々と巻き上がった議論で似たような意見もあるだろうが書き記したい。なぜ今回の反則騒動と今までの言動がリンクされるのか?確かに分かりやすい繋げやすいことではあるけれど、それとこれとは別なのではないか?

勘違いして欲しくないけれど、亀田選手が犯した反則に対して既に懐古的になっているわけじゃない。亀田選手の謝罪会見に対して、鬼の首を取ったような雰囲気になって、普段の様子と比較してのカタルシスを得て、「もう許してやるよ」的な感情になっているわけじゃない。

言動にフォーカスが移行しているけど、今までのパフォーマンスが非難されるのか分からない。それに対して謝罪を求めるような質問をする記者がいることがメディアに対して不信感を抱かざるを得ない。今回の騒動から、父親の人間性や教育方針などに派生していくことが問題の本質にリンクしているようには全く思えない。

近代の考え方は、「罪を裁き罰する。人の存在を裁き罰するのではない」という考え方、 人の存在を裁くのではなく、人が何を行為したか、その行為の是非を判断する考え方です。 それは前近代における差別と不公平、悪しき存在とされた人は、全てが悪とされて 差別され、逆に、高貴とされる人には特権が与えられる、封建的な差別と不公平を 無くすための近代の基礎理念としてあります。それを、日本のマスメディアは蔑ろに しているように、亀田選手の報道を見ていると思えます。マスメディアは、前近代的な 差別と不公平の考え方をし、人間存在を規定し裁くように振舞っているとしか見えない…。

輪島さんがこんなコメントをしていた。「人間は一度ミスしたらダメなのか」と。