読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

努力はしたが、苦労なんかまったくしていない。

「苦労」と「努力」って、外見上、やっていることはそんなに変わらないようでも、その人にとっての意味は、大きく違ってくるのです。

上記のエントリーを読み、以前から頭の片隅にベッタリとこべり付いていた、村上龍氏が何度も繰り返している「努力はしたが、苦労なんかまったくしていない」という発言を思い出した。上手く言えないけれど、「ウェブ時代に生きる」で梅田望夫氏が伝えたい概念に近いのではないだろうか。


村上龍文学的エッセイ集

村上龍文学的エッセイ集

P.91 「普通の大人になりたくないあなたへ」

この国はごまかしに充ちていて、成功した人にインタビューで「どんな訓練をしましたか」とはほとんど聞かない。「どんな苦労をしましたか」と聞く。成功した人は「苦労」した人ということにしたいわけだ。

わたしは、二十四歳で作家としてデビューしたが、まったく苦労はしていない。今でも苦労なんか全然していないし、苦労なんか一度もしたことはない。

この本を読了したのは、確か2年前だ。その時は、「成功した今だからこそ」村上氏は「苦労していない」と言えるのであって、実際その渦中にいたときは苦労しただろう、と決め付けた。しかし、今ようやくそれが心の奥底から発せられたメッセージだと、腑に落ちた。やはり「ウェブ時代をゆく」で提唱している生き方というのは、正しい方向性を持っている。

「努力しなかった」わけではない。訓練が苦にならない何かを見つけることができなかっただけだ。

自らの志向性を問い続けること―。