読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

Macを購入したこと、そして今後のこと。

先日Macを購入しました。その時に考えたことが自分にとっては
今後大事であろうと感じたので書き記そうと思います。


Macを購入するときに、ひとつある疑問が頭によぎった。
それはどうしてWindowsを使い続けてきたか、という疑問だった。

以前から次はMacを買うと心に決めていた。
それは、ミーハーだと言われようがiPodの影響だった。だって、かっこいいんだもん(笑)
Macを購入する気持ちはキチッと固まっているんだが、何となくもう一押しが足りないって感じだった。
そこで、何かMacを購入へと激しく突き動かしてくれるものはないかと考えていた。
んで、頭によぎった疑問がどうしてWindowsを使い続けてきたか、というものだった。


物事をこねくり回して複雑に考えることは、実は何の解決にも至らないって村上春樹氏は言ってた。
だから、さっきの疑問も無意識の中に押さえつける動きが自分にあった。

「どうして今更そんなことを考えんだよ!Windowsが使いやすいにきまっているだろ!
 ずっと使ってきたんだから、今更変えるって面倒くさいことをするなよッ!!」って。


でも、ひとつひとつ対象を細かくして見つめてみると、Windowsを使っていた理由は
そもそも初めて触ったパソコンが「たまたま」Windowsで、OSはそれしか知らなかったからだし
それ以外に選択肢があるなんて分からなかった。

使いやすいって言ったって、それは使い続けているから慣れているだけで
相対的に何かと比較した結果ではない。Macを使って今日で2日目だけど、Mac使いやすいよ(笑)


そこから見える本質というのは、僕は何かにつけて「選択」をしていなかったことになる。
ウェブ時代を生きる上で、パソコンはまさしく「環境」だ。

Macを買うことは、少なくとも僕にとっては変化だった。大げさな言い方かもしれないけれど
僕は自ら環境を、他人のrecommendではなく、自分自身で選択したんだ。



それを少し拡張して自らの生活に当てはめてみた。果たしてそこに選択はあっただろうか?
いや、確かに進学や就職では「選択」という行為はしたと思う。でも、それは他人のrecommendが
介入した「取捨選択」であって、純粋な選択ではなかったと思う。

自分自身の志向性を求めた末に、環境というワクからはみ出したことをしたことがあっただろうか?
「自分には無理だ。自分には遠い世界で、関係のないことだ。特殊な環境にいる人が実現できるんだ。」
振り返って省察すれば、僕は可能性を放棄していた。


生きるとは模索すること。そして、模索とは行動すること。
Dragon Ashの歌にも「眠りに救いはない」ってあるんだから、行動は模索を解決する基本的な方法だ。
自分で選択を繰り返していこう。


ってなことを、Macを購入する過程で思いました!