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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

JTPA SVツアーに応募しました。

シリコンバレーツアー 梅田望夫 村上龍

質問4. あなた自身についてウェブ上で公開されている情報があればその見出しとリンクを列記して下さい。ブログ、作品その他なんでもかまいません。

という質問があったので、応募用紙にこのBlogの URL を記載しました。

選考の過程でJTPAのボランティアの方々が、このBlogを訪ねる可能性は充分あり、シリコンバレーに関わる内容を書くことは、何となくいやらしさを抱かせてしまって、マイナスな印象を与えるかもしれない。

けれど、どうしてもシリコンバレーツアーに参加したい気持ちを詳細に伝えるにはBlogで表現するしかないと思った。行動することが重要だって、僕は梅田氏から(勝手な解釈だろうけど)学んだ。後々失敗と思ってもいいから行動しようと思い、シリコンバレーツアー絡みのエントリーを書きます。


戦略的な努力をするために

もしこれから先、僕がシリコンバレーで生きたいと本当に願うなら、優先順位の設定をし、戦略的な努力を実行することが必要でしょう。優先順位の設定には、その目的に対して何が必要で、何が必要でないのかを知ることが重要です。それはまさしく梅田氏が「ウェブ時代をゆく」の中で提唱した「やめることを決めること」に繋がることでしょう。

ウェブや関係する書籍には、シリコンバレーの情報が溢れているし、そこから目的とする事項を得ることは、対象に対して情熱が伴っていれば今の世の中なら容易に出来る。しかし、そこで注意しなければいけないことがある。それは情報を受け、「知った気」でいる状態に陥っていないかどうか、である。

そこで得る情報というのは、辛辣な表現をすれば「他人の言葉」である。それをあたかも自らの経験したかのように、また自ら得た言葉として発することはまさしく「知った気」でいることだろうと思う。

「知った気」でいることは、とても危険なことだと思う。それは僕は体験から学んだ。


「知った気」でいるとは

僕の故郷である沖縄では、プロフェッショナルなスポーツ観戦をすることが出来ない。プロチームがないことが大きな理由だ。僕はサッカーを十数年しているけれど、サッカー観戦をテレビでしかしたことがなかった。それで知った気でいた。その当時は、自分自身がサッカーを観戦をしたことがないっていう感覚は一切なかった。微塵にも感じなかった。

「だって、誰よりもサッカーの試合をテレビで見てるし、プレーヤーの名前や顔も勿論知っているよ!」

当時の僕に対して「君は知った気でいるんだよ」って言ったとしても、激しく拒否したと思う。むしろ激昂したと思う。その当時の僕にとって、テレビでの観戦は、実際のスタジアムでの観戦に匹敵するものだと信じて疑わなかった。

学生時代に村上龍氏に出会い(一方的な出会いだけど)、彼から「知った気」でいる概念を学んだ。加工され、フィルターにかかった情報を得た状態は、実は「知った気」でいることだと。

とても悔しかった。今までの全てが否定されているような概念だった。


時を同じくして、その当時FC Barcelona所属のロナウジーニョ選手が非常に素晴らしい功績を挙げていた。チームはもちろんのこと、個人としてファンタジー溢れるプレーをしていた。冬休みで時間的な余裕があったこと、また「知った気」という概念に対する反抗心みたいなものがいい様にブレンドされて、僕はバルセロナに行く決心をした。

サッカー観戦を目的をしていたが、「知った気」という概念が拡張・派生して「僕はヨーロッパを知った気でいるのではないか?」「『知る』とは自らが考え、行動し、体験することだ」と思い立って、パリからスタートし、鉄道でスペイン〜イタリアへと南下する一人旅を計画した。

その当時、沖縄から修学旅行以外で出たことがなかった。その僕にとって、まさしく大冒険だった。パスポートの取得、ユースホステルの予約、現地における地下鉄の乗り方など必要なことは全てウェブで調べ、ウェブで実行した。その時初めて、身をもってウェブの有難さを実感した。「ウェブって何でも出来るんだ」って。でも、そこには「知った気」でいる自らに対して、疑念を常に持ち続ける自分がいた。


旅は予定通り進み、無事帰国することが出来た。

実際のスタジアム観戦は、僕の今までを変えるには十分な体験だった。スタジアムの大きさ、大の大人が真剣な面持ちで観戦する様、耳に劈くブーイング、目の前でプレーする選手やパスのスピード、激しく骨を削りえぐる生々しい音、何より一番の驚きは、選手の試合以外での行為だった。

テレビでは切り取られた一部しか映し出してはない。もちろん試合中だってフィールドを切り取って写しているし、時間の関係で試合以外の部分を映し出すことや知らせることもない。試合前の練習でロナウジーニョだけ一人ウェアが違うことや、練習後そのウェアを最前列にいた車椅子のサポーターにあげたことも。

誰かがその情報を知らせなければ、僕はそういった行為があるとは一生知らなかったことになる。僕が知っているのはロナウジーニョのプレーだけで、ロナウジーニョの人間性を知ることはなかった。


悔しいけれど、僕はまさしく「知った気」でいた。


「知った気」から本当に「知る」ということ

本を読むことやネットで情報を集めることで自分の生き方は素晴らしいものになると信じていた。それで生きるには十分だろと。でも、それは間違いだった。そこで得たのは「他人の経験」であり、「他人の言葉」であり、僕は単に模倣しているだけで、そこからは何も生まれはしなかった。

僕は誰かの言葉を無断で使い、あたかも物事を「知った気」でいた。自分が発してる言葉は、実は自分自身の言葉ではなかった。

本やネットから「知る」という行為自体は良いことだろう。しかし、実際に行動することがなければ、それは「知った気」でいることに他ならない。行動することで、学び、模索し、その中で初めて情報を自らの情報として昇華することが出来る。

僕は旅から、そこに行かなければ分からないことがある、という当たり前の事実を知ることが出来た。


僕はシリコンバレーで生きたい。世界を変えることは無理でも、ウェブに関わることで小さくとも世界と関係を持つことが出来るかもしれない。そして、人としてより良く生きたい。人としてより成長をし続け、自分自身の選択が間違いではなかったと、紛れもなく自らに証明したい。

生きるとは模索すること。模索するとは行動し続けること。考えることで思考は深まることはあるけれど、実際に行動しなければ何も知ることは出来ない。だから僕はシリコンバレーツアーに応募した。


あけもどろの空に、シリコンバレーツアー参加合格を願い、吉報を待ち続けます。