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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

嫌われたり、憎まれたり、蔑まれたりする中で、砂金を見つけ出すこと。

翌日、僕はかつてクラスメートだった何人かに電話をかけて、彼女について何か知らないかと訊ねてみたが、誰も彼女については何も知らなかったし、大部分は彼女が存在していたことさえ覚えてはいなかった。最後の一人は何故だかはわからないが僕に向かって、お前となんかは口もききたくない、と言って電話を切った。


風の歌を聴け」p.67


初めてこの文章を読んだとき、僕は21歳だった。その頃の僕は「お前となんかは口もききたくない」と言われるような生き方はまっぴらだと強く思った。もちろん、それは今でも変わらない。そんな生き方を望んでしたいとは思わない。

だけど不思議なもので、その小説を読み、時を過ごす中で、明らかに僕は「ある種の友人」から疎まれるようになっていた。そんな状況は楽しくないし、僕はそんな生き方を望んだ訳じゃない。けれど、気付けば僕と「ある種の友人」とは、もう修正が出来ないくらい離れていった。その中で「他の人には他の人の価値観があり、それに添った生き方がある」*1、という至極当たり前のことを慚愧の念と供に学んだ。

誰かに嫌われたり、憎まれたり、蔑まれたりする方が、どちらかといえばナチュラルなことみたいに思える。そうされるとほっとする、とまで言うつもりはない。僕だって他人に嫌われることを楽しんでいるわけではないのだから。


「走ることについて語るときに僕の語ること」p.37-38

村上春樹は「ナチュラルなこと」って言っているけれど、僕にとっては「辛さ」の象徴だった。けれど、きっと自分の「言葉」を持つということは、「誰かに嫌われたり、憎まれたり、蔑まれたりする」ことではないかって最近思うようになった。だから、梅田さんは「自分と合う人と出会うのは、砂金を探すようなものだと思うんですよ」*2って言ったのかもしれない。


●上手く言えないけれど
正解を求めてはいないけれど、せめて方向だけでも示してくれと暗中模索する中で、僕はid:sap0220さんと出会うことが出来た。彼と出会えたことを心から感謝している。二回目の会議を通して、僕は素直にそう思えた。

*1:「走ることについて語るときに僕の語ること」p.34

*2:私塾のすすめ」p.132