読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

僕と、江島健太郎さんが交わした「盾」について

そのejimaさんと夕食を共にする(しかも、隣りの席で!)機会を得た。ものすごく緊張して、あまり覚えていないけれど、彼が醸し出していた雰囲気は今も鮮明に覚えている。
「いちゃりばちょーでー」な出会いたち - 読谷の飛行場に想う。

僕が江島さんと「あること」について話始めたとき、図ったように料理が運ばれてきた。僕と江島さんの間をエビチリが通り抜けた。さすがオススメだけはある、美味い。でも、料理は美味しかろうが、やっぱり途中で終わった話が気になった。

というわけで、帰国後、話半ばに終わった内容について、江島さんにメールを送った。ものすごい早さで、江島さんから返信が返ってきた。素晴らしい内容で、僕だけで留めてしまうのは、紡がれた文章に対して失礼に思えた。でも、私信だしそれをブログに転載することは、概ね分別に欠けるとして、僕の中で厳かに、大切に折り畳むことにした。


少し時間が経った。ブログへの転載を忘れかけていたとき、江島さんの最新エントリーにこう記されていた。

誰かの役に立つかもしれないと思い、ここにログを一部抜粋して締めくくりとしようと思う。
長瀬弘樹という作曲家のこと:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

僕は、反射的に江島さんにメールを送っていた。

私信であるため、本来は公開の流れは快しとしないかもしれません。
ただ、江島さんの最新エントリーに"誰かの役に立つかもしれないと思い、ここにログを一部抜粋して締めくくりとしようと思う。"とあります。それを読み、江島さんと交わした「弱さ」について、求めている誰かに伝えたい、伝えるべきだと感じました。唐突な質問ですみませんが、もし江島さんが宜しければ、転載許可をお願いします。

こういう風にいわれると、断れないじゃん。うまいこといったね。w

というわけで、いいよ。

と爽やかに快諾を得ました。というわけで、僕と江島さんが交わした「盾」について記します。

夕食の際に村上龍の「盾」について話したことを覚えているでしょうか?江島さんは「それは腐敗を招く」(その時の正確な表現ではないかもしれませんが)といったものです。対外的な関係において防御する、という一般的な意味合いがある「盾」に対して、江島さんは「腐敗」と表現したと思っています。確かにそれは惰性への入り口になるでしょう。盾を構築することで、学びに対してどんどん素直にならなくなるでしょう。


語弊があるかもしれませんが、僕が表現したかった「盾」という表現は一般的な意味合いとはいささか離れたところにあります。自分自身を表現することや過度な依存をせずに生きるために得る「誇り」や「背景」に近いと理解しています。盾を得ることは、まさしく自分の「好き」を自覚することだと思います。そして、それは得たいと思って簡単に、道端に落ちている石ころのように得ることは出来ない。自分の生き方や考え方を真摯に、深く考え続けた後に、得ていることに気付くものだと思います。

それをふまえて、もし良ければもう一度江島さんの考えを聞かせて頂けたら幸いです。

村上龍の解説をみると、そこでの主題はむしろ柔らかさ、優しさのことであって、そういう意味では松岡正剛の「フラジャイル」に書かれているような意味での「弱さ」についてのことだと思った。


弱さは、強さよりも深いんですよ。弱さとは、強さの欠如ではなくて、それ自体が多様性をもつ不思議な存在。そういうものを内包している人間のほうが、強さを誇示する者より圧倒的に美しい。だから、ぼくは自分の「弱さ」を守ることなくさらけ出すことの喜びを知っているし、だから盾という「強さ」の象徴・メタファーに共感できなかったんだと思う。


軟弱、矮小、希薄、憂鬱、悲哀、華奢、躊躇、葛藤、矛盾、低迷、劣等、敗北、欠陥。。。これら一揃えの「弱さ」を抱えて生きている自分をありのままに見つめること。さらけ出すこと。ノーガード戦法。これを「強さ」と言ってしまうと循環論法になってしまうけど、でも、あのとき言いたかったのは、こういうことです。


まぁ、たぶん似たようなことを違った切り口から伝えようとしてるんだよね、お互い。