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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

「なんくるないさ」は「どうにかなるさ」じゃない。

沖縄 家族

【追記】2010年度版、書いてみました。
時間がない方はこちらにどうぞ。おばぁの動画付きです。
「なんくるないさ」について沖縄のおばぁに訊いてみました。

ニュアンスを掴むにはこれで勉強するのがいいかも。
ハイサイ!沖縄言葉―ウチナーヤマトグチ
沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ

言葉に罪は無い。それはまぎれもない事実。しかし、言葉が一人歩きを始めた時、その言葉は本来の質感を失っていく。そして異なった色彩を帯びる。そして、それが本来の宿命の如く置き換わっていく。

僕は沖縄出身ということで、よく方言を話してくれと周りの人からリクエストを受ける。彼ら彼女らは素直に興味があるのだろう。それはすごく嬉しく思う。語尾に「さぁ」をつけ、(標準語を意識せずに)話すと、皆自然と笑顔で僕を包み込んでくれる。沖縄出身ということで、皆とても興味を持ってくれる。すごく嬉しい時間だ。生まれ、学び育った自らの土地を、心の底から誇らしく思う。

だからこそ、伝えたい。

「なんくるないさ」は「どうにかなるさ」なんかじゃない。「どうにかなるさ」なんて一言で片付くような言葉じゃない。しかし、やはりどうしても意味を伝える必要性がある時、人は洗練を求める。だからこそ、その関係性は間違いではないかもしれない。けれど、その言葉を発する彼ら彼女らの生き様が凝縮され、初めて「なんくるないさ」と言えるんだ。僕には、畏敬の念から軽々しく発することが出来ない。僕にはこの言葉を発する資格はない、とすら思っている。

  • おじぃ・おばぁと過ごした時間

孫の中で僕は一番多くの時間をおじぃ・おばぁと過ごしたと自負している。幼い頃から大学生まで、沖縄を離れ大分で暮らすようになるまで、きび苅りや芋掘り、果ては開墾作業まで本当に色々なことをした。始めはただ言われた事をするだけ、怒られ、非力だ、頭でっかちで何も出来ないと二人から罵声を浴びた。子供ながらに辛かった。

でも、僕は少しずつ成長していった。本当に少しずつ僕が出来る仕事が増え、おじぃ・おばぁは何も言わずに僕に仕事を任せるようになった。おばぁの車の荷台から荷物を降ろすのが、自然と僕の役割になった。自動車免許を取ったと言った日、畑からの帰り道、自然とおじぃは助手席に座った。触るだけで激怒された草刈り機の使い方を教えてくれた。何もいわずに、それが当たり前かのように。

相変わらずおじぃからは罵声を浴びていたけど、認められたと思えて本当に嬉しかった。

  • おじぃ・おばぁから「なんくるないさ」を聞いたのは、一度しかない。

僕が沖縄を離れる前日、おじぃとおばぁに挨拶に行った。おじぃは仕事で家にはいなかった。おばぁが僕に抱きしめ、こう言ってくれた。

今から誰も知り合いがいない土地に行くんだよね。でもね、正也が思っている以上に世の中の人は、意外にいい人なんだよ。

逃げ出したい時もあるだろうし、辛いことがたくさんあると思う。でもね、ちゃんとやるべきことをして、ちゃんと準備をして、ちゃんとご飯を食べて、健康でいなさい。そうすれば物事は意外に上手くいくから。それを信じなさい。なんくるないさぁだよ、正也。

おじぃから聞いたのは、沖縄を離れ、横浜で研修をしていた4月だった。

とにかく健康でいなさい。ご飯はちゃんと食べなさい。色々な人が色々なことを言う。それから色々なことを学んで大きく成長しなさい。辛いことの方が多いかもしれない。けれど、ちゃんと向き合って、耐えなさい。我慢しなさい。なんくるないさぁだよ、正也。

その頃は本当に辛かった。色々なストレスがあった。しかもお金が無かった。都会は移動するにも金がかかる。それが意外にも僕の懐を寒くした。でも、誰にも言えなかった。情けなくて、恥ずかしくて。その電話の翌日、お袋から10万円が振り込まれていた。おじぃが振り込めって。あなたがお金が無くてご飯を食べていないって言ってたから。

  • 「なんくるないさ」の本当の意味とは

だれもが言葉を使うのは自由だ。ただ、言葉には情景が伴う場合がある。その情景が言葉に瑞々しさを与える。その情景が言葉に魂を与える。「なんくるないさ」を「どうにかなるさ」と感じ取ってくれてもいい。でも、僕らの生まれ育った土地では、その言葉はそんな冷ややかな他力本願的な視点ではない。生きることを真剣に考え、辛さの中から導き出された力強い言葉だ。

世の中は辛さに溢れ、物事の大半は上手くいかないことばかりだ。だけど、それでも僕らは生きていかなければならない。その時が来るまで、耐え、誠実に生きる必要があるんだよ。誠実に生きていれば、きっと上手くいく。それを信じることなんだよ。

僕は「なんくるないさ」をこう思う。僕がこの言葉を使える日は、まだまだ遠い先だと常に思っている。