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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

ゼツガクと「語るべきこと」

中山さん(id:taknakayama)と小野さん(id:sap0220)が以前こんなことを話していた。

小野さん:「僕はこの『シュンポシオン』という集まりは、そう長くは続かないと思っています。いや、出来るならば、いつまでも続いて欲しいと思っています。けれど、何て言うか、それじゃいけないっていうか。みんなそれぞれの目的地があって、今はたまたまこうやって集まっているけど、いずれはそれぞれ離れていくんじゃないかって」
中山さん:「なるほど、ゼツガクの概念ですね!」

確か中山さんは「ゼツガク」と言っていた気がする。「絶学」かな。でも、goo辞書にはないな。聞き間違いかな。恐らくニュアンスとして「ゼツガクの概念」とは、散り行く森羅万象の視点であり、始まりと終わりが確実に存在し、いつまでも続くかもしれないという「甘え」を排除していることを指すと思う。


12月のシュンポシオンに関して、僕は危機感を抱いている。この「ゼツガクの概念」に基き、終わりを起点とすれば、僕の最終目的は「会うこと」ではない。僕が「語るべきこと」を話し、相手から「語るべきこと」を聴くこと。そして、自らの目的地へと向かうこと。

ブログというメディアがなければ、到底出会うことが出来ないであろう人たち、出来なかった人たち。そういった人たちと同じ空間を共有できたからといって、僕が動かなければ、僕は「僕」のままだ。「語るべきこと」を伝えたなければいけない。

12月のシュンポシオン横浜はこれまでにない程に、大規模な、かつ用意周到に計画が進んでいる。その様子を「すごいですねー」と受け流すのではなく、「ゼツガクの概念」から「最初で最後のシュンポシオン横浜」と考えた方が僕は健全だと思う。「また来年もしましょうね」なんて甘えも甚だしい。自ら「シュンポシオン」を計画し、それぞれの目的地に近い場所で「語るべきこと」を伝え合う環境づくりが、このシュンポシオン横浜の意義だと思う。

色々なスタンスがあって、前提があって、目的がある。それはそれ。ただ、少なくとも僕は危機感を抱いていて、「比嘉正也」としての今後がかかっていると断言する。だから、僕に出来ることは、泥臭く「青年の主張」を披露し、「おじさんたちを楽しませ、うならせ、困らせ、共感させ」るだけだ。