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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

我が友へ

高校時代からの友人から、先日電話があった。内容の縷述はしないが、お互い異なる境遇のなか、より良く生きるにはどうすればいいのか、といった親しい間柄では避けがちな内容を持って、滔々と時間を過ごした。

今までこういった事は、バカバカしくて(恥ずかしかったのもあった)ほとんど口外することはなかった。
みち半ば

どうでもいいことだけど、3年間同じ部活(サッカー)に所属し、一番始めに言葉を交わしたのは彼だった。僕自身が思うに、プレースタイルは非常に似ている。足下のテクニックはないし、一瞬のひらめきも殆どない。だから、誰よりも走り、愚直に役割を(なんとか)やりきっていた。彼は、どんな体勢からも教科書通りのインサイドキックを実行していた。彼の実直さを象徴する場面として、今でも鮮明に記憶している。膝を痛め、以前のような俊敏なプレーは出来なくなったと聞いて、とても大切な時間が失われたような気がした。


彼と僕は価値観で多くのぶつかり合いを示した、と記憶している。特に女性関係は顕著だったと思う。十代の僕は「数」こそが全てだと思っていたし、周囲とは異なる体験を経て、小さな優越感を抱くことに尽力していたように思える。小さな小さな村で過ごした季節。自分自身の言動と概念、その言動に対する疑念とがすり合わない十代の季節。その考えに対して、多くの友人は同調か生返事だけだったが、彼だけは安易な同調はなかった。今振り返れば、その彼を論破することが、その当時の僕にとっての生業に等しかったのかもしれない。


思うに、友人と上述のような「より良く生きるにはどうすればいいのか」について、話せること自体が希有なことだろう。多くの人とは「友人」という役割を演じるだけで、自身の軸について吐露する機会はほぼない。大切な友人である彼と、自身の軸について語り合えたことが、欣快の至り。僕が彼の迷いに答えを示すなど出来るはずもないけれど、一つだけ伝えたいことがある。


それはウェブ上には真摯な迷いを受け止め、たしなめ、問いかけてくれる人たちがいる、ということ。沖縄風に表現すれば「近所のニィニィ」って感じかな。僕はウェブ上での出会いによって、以前より成長したと胸を張って言える。「近所のニィニィ」は往々にして、会って話がしたいと、出来うる限り失礼のない依頼を申し出せば、快く一回は会ってくれる。次は分からない。でも、とにかく一回はチャンスをくれる。ウェブ上での出会いをリアルの出会いに繫げる。そして、そこで言葉を交わし、また迷う。迷いはいつか答えになり、自分自身の欠落を埋めるのは自分自身で、誰もがやってくれるものではないと、常に心に刻み、半歩でいいから前に進む。それをやってみるのもいいかもよ ;-)


ps;関係ないけど、彼とカラオケに行って覚えた曲。エントリーを書きながら、ランダム設定をしたiTunes で流れてきた。