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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

西船橋にて、金城功明さんと飲んできました。

3/23、金城功明(id:simpleA)さんとサシで飲んできました。西船橋駅にて待ち合わせをして、近くの居酒屋に移動して、たっぷり5時間近く話しました。


金城さんとは昨年6月に初めてお会いしてから、大分、八千代、横浜、札幌と全国各地で顔を合わせ、その旅先々で、そのとき僕が抱く考えを恥ずかし気もなくぶつけ続けてきました。「比嘉」「金城」と、沖縄で石を投げれば当たような苗字*1を持つ者同士で勝手にシンパシーを抱いているため、全国各地を追いかけ回しています。というのは冗談で、彼の考えを知りたいと純粋に思っているからです。もちろん、全てを知ることはできないのは自明ですが、ただ、とにかく話がしたい、想い憧れの対象からもっと多くを学びたい。ただ、それだけなんです。


「好き」という感情から自然と距離を置き、社会がどういった流れのなかから形成されたのか。それを考え続ける素材を彼の言動から学びました*2ニーチェマルクスフロイトフッサールがその日も話題にあがりました。僕はニーチェをかじり始めたところで、全然話題を提供できる相手になっていない。でも、それでも憧れの対象はこう説きます。

立ち戻って学ぶことが大切。らせんを登るように学ぶこと。自分はこう読んだ、自分はこういう風に理解した、と自分の言葉や経験で示すことが大切。

感覚的に、少しずつらせんを登る様子は理解できます。でも、そういったなかで「素直なこころ」は必要なんでしょうか?*3

ニーチェが示した通り、「真実はない」とすれば近似すらないと思えるかもしれない。どれほど経験を積もうが、相手の経験は自分とは異なる経験だと思える「素直なこころ」が必要だと思う。そういったこころを持ち続ければ、自身の経験に対するおごりは存在しないはず。


果たして僕には「素直なこころ」があるだろうかと考える。自身と相手の経験を客観視し、正当に評価し、言葉を発することができるだろうかと考える。相手を慮り、素直に感情を示すことができるだろうかと考える。この旅を通じて出逢った人々(id:segawabiki, id:fukukm10889, id:Ronron)には「素直なこころ」があった。安易な答えを示すことはせず、迷い悩む経験から、君自身が何を求めているのかを常に問われていた気がする。


答えはすぐには出ない。それを痛切に感じた。相手に対して「素直なこころ」を示すように、自分自身にもそれを示すことが先だと思う。それが「素直なこころ」を持ち続ける唯一の方法だと、いまはそう思う。

*1:http://park14.wakwak.com/~myj/lanking/47.html

*2:http://d.hatena.ne.jp/Ryu-Higa/20090314/1237052737

*3:http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20090303#1236071478