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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

村上龍氏が13歳へ。自分に「向いている仕事」というのは、「好き」という言葉で語れるものではないのかも知れません。

ロールモデル 村上龍

村上龍氏が編集長として発行するJMM(ジャパン・メール・メディア)に「『新 13歳のハローワーク』特別号」として、書籍の導入部分が配信されています。特に真新しい部分はないかもしれないが、改めて梅田望夫氏の「好き」に対する論調と合わせて読むことで、梅田望夫氏が記した短い文章の本意を感じ取ることができた気がします。

新 13歳のハローワーク

新 13歳のハローワーク

二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会の中に出て行くことができる。「好きなこと」と「飯が食えそうなこと」の接点を探し続けろ。そのことに時間を使え。
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

長い序文の中に、僕は村上龍氏の「優しさ」を感じます。「13歳」へ届けるように、言葉や文化、僕らが盲目的にこうあるべきだと思い込んでいる対象を解きほぐしている印象があります。梅田さんの文章は対照的に、端的に「好き」を求めることを伝えています。しかし、それはどの対象に向かって話しているのか、どのスタートラインにいるのかを僕らは読み取らないといけないと思います。


僕はもう26歳。村上龍氏が対象とした年齢からは離れているが、「13歳」に向けた文章から学ぶべき点は多いと感じています。13歳と決定的に異なる点は時間の浪費の許容度であって、科学的な努力や効率性、経験から判断ができる人たちは浪費さえしなければ「自分に向いている仕事」に到達できるのではないでしょうか。「夢」などどそんな言葉で語るより、根も葉もない「好き」を入り口とした自分自身の言動の在り方が全てを示していると、村上龍氏の文章から感じました。


以下、『新 13歳のハローワーク』「はじめに」より抜粋。強調・赤字はこちらで付与しました。

向いている仕事は、人それぞれ違います。わたしの職業は作家ですが、誰でも作家に向いているわけではありません。その仕事を続けたり、その仕事をする上で必要な知識や技術や能力を学んだり磨いたりするためには、努力が必要です。これは子どもも大人も同じです。ただし、苦しくてすぐにでも止めたい努力と、それほど苦にならなくて、いくらやっても飽きない努力があります。興味がある本や映画は見ていて楽しいですが、興味のないものを強制されて読んだり見たりしなければいけないのは苦痛です。わたしたちは、自分の好奇心を満たしてくれるものには飽きないし、いくらでも集中できます。いくらでも集中できて、飽きない、というのが、その人に「向いていること」です。


どんな仕事にも努力が必要で、勉強や訓練をしなければなりません。ただし、向いている仕事の場合には訓練や勉強を続けるのがそれほど苦痛ではない、ということです。だから、向いている仕事をするほうが、向いていない仕事をするより有利です。充実感を得たり、成功する可能性も大きくなるのです。

それでも、自分に「向いている仕事」をしている人は、世の中にそう多くはないようです。わたしは、実は小説を書くことがそれほど好きではありません。辛いとか苦しいと感じるわけではないのですが、決して好きではないのです。小説を書くときは普段よりも脳をたくさん使わないといけないので面倒くさいし、大変だし、疲れます。ただし、確かに「向いている」と思います。それは、絶対に、飽きないからです。また、小説を書いたあとに感じる充実感や達成感は、他では決して味わうことができない特別なものです。


だから、小説を書くのが好きではないからと言って、ほかの仕事をしようとか、探そうとか、そんなことはまったく思いません。また小説を書くために、誰か専門家に会って話を聞いたり、資料として本を読むのも苦痛ではありません。自分に「向いている仕事」というのは、「好き」という言葉で語れるものではないのかも知れません。いくら努力しても苦痛ではなく、絶対に飽きない、それが「向いている仕事」ではないでしょうか。

13歳のみなさんは、「好き」ということを「入り口」として考えてください。「国語が好き」「理科が好き」「休み時間が好き」というそれぞれの入り口から入って、その向こう側にある職業の図鑑を眺めてみるといいと思います。確かに、現実的には、自分に「向いている仕事」をしている人は少数かも知れません。でもすべての13歳は、「向いている仕事」につく可能性を持っています。学校の勉強ができない子も、自信がなくて内気な子も、友だちがいなくて寂しい子も、家が貧しい子も、大人になるためのぼうだいな時間を持っているからです。その時間が、可能性なのです。だから、自分に「向いている仕事」が必ずあるはずだ、と心のどこかで強く思うようにしてください。

「好きなことを探しなさい」「好きなことを見つけなさい」とよく言われます。でも、それではどうやって探せばいいのか、どうすれば見つけることができるのか、教えてくれる人はなかなかいません。それは、13歳にとっての「好きなこと」、大人にとっての「向いている仕事」というのは、探せば見つかるというものではないからです。砂浜で貝を探したり、原っぱでバッタを探したり、花畑で蝶を探すように、探せば見つかるものではないのです。つまりそれは、「探して見つける」ものではなく、「出会う」ものなのです。

「出会う」ために欠かせないのは、好奇心です。(中略)わたしたちは、好奇心が刺激されると、努力なしに、自然に心が傾きます。すべては、「ん?これはいったい何だろう」からはじまるのです。


そして、「出会う」ためには、「どこかに自分が好きなことがきっとあるはずだ」「将来的に、自分に向いている仕事がきっとあるはずだ」と心のどこかで強く思う必要があります。そう思っていなければ、何かに出会って、心が傾いたときに、「これかも知れない」と思うことができないからです。また、ぼんやりと日々を過ごすよりも、いろいろなことに興味を持つほうが、出会う確率は大きくなります。「これかも知れない」と思ったものが、実は勘違いだったり、実際はそれほど好きじゃないことがあとでわかっても、がっかりすることはありません。

「自分探し」という言葉があります。わたしがもっとも嫌いな言葉の一つです。自分探しとは、ある本によると、自分はどういう人間なのか、どういう人間になりたがっているのか、どんなことでハッピーになれるのか、過去から現在に至る自分を振り返り、また未来を描き、自分なりの価値観を見つける、というようなことのようです。ただし、それらの答えは自分の中にあるわけではありません。他人や、興味ある対象との出会いの中でしか見つからないものです。自分はどんな人間に興味があるのか、どんなことに好奇心が向いていて、何をすればハッピーになれるのか、というような問いは、自分を探すのではなく、他者と向き合い、興味ある対象との出会いを通して成立するものです。(中略)。


答えなどないのだから、自分なんか探してもムダです。それよりも、わたしたちが生きているこの社会、広い世界と接し、知ることのほうがはるかに重要です。(中略)「興味があること」「好きなこと」がわかっている13歳や、「向いている仕事」を持っている大人は、自分探しなどという言葉にまどわされることがないのです。

お金は生きていく上で大切なものですし、地位と名声への欲望も、人間にとって自然なことです。わたしも、お金は欲しいと思います。地位や名声も失いたくないと思っています。歳をとって、体が弱ってきたときに、充分なお金もなく、まわりからの尊敬もなく、軽視されながら生きるのは、辛いものです。そして、お金や地位や名声を手に入れるために、もっとも有効なのは、「自分に向いている職業」です。


わたしは、お金も地位も名声も手に入れたい欲張りな人間ですが、小説を書いているときは、逆に、お金や地位や名声のことはまったく考えません。小説を書くのは好きではないと前に述べました。確かに好きではないのですが、自分に「向いている」仕事なので、書いていても苦痛を感じることはないし、集中できて、能力を100%使うので、他のことはまったくどうでもよくなるのです。この小説ははたして売れるだろうか、作家としての評判が上がるだろうか、そんなことは本当にどうでもよくなります。「向いている職業」とはそういうものです。仕事や作業に集中できるのです。そして、一つの作品が完成し、その作品に力があって、多くの人を興奮させ喜びを与えることができて、さらに運も味方してくれれば、お金や地位や名声があとからついてくる、そういうことです。


職業・仕事によって、わたしたちはいろいろなものを手に入れることができます。お金や地位や名声が、あとでついてくることもあります。でも、それだけではありません。わたしたちは職業によって社会とつながっていることを忘れないでください。社会とつながっているという感覚はとても大切です。それは、社会から必要とされている、他人から認められているという感覚を持つことでもあるからです。職業につき働くことで、わたしたちは充実感や達成感、それに友人や仲間を得て、集団や会社や組織に属すことで、自分の居場所を確かめることができます。

この長い序文を読んで、職業について考えることは大変なことだ、自分はだいじょうぶだろうかと不安に思う13歳がいるかも知れません。だいじょうぶです。焦る必要はまったくありません。わたしの知り合いの教育者や経済の専門家は、28歳という年齢を、職業を決める目安としています。教育を受け、社会に出てしばらく時間が経って、だいたい28歳くらいをめどに、自分がどうやって生きていくのか、つまり職業を決めればいい、ということです。28歳で職業を決めたあとは、だいたい35歳くらいまで、その職業に必要な訓練と経験を積むことになります。

最近は、学校を卒業して就職してもすぐに辞めてしまう若者が多いようです。忍耐心がないという大人もいます。しかし、わたしは仕事をすぐに辞める若者が多いのは当然だと思います。派遣やアルバイトなどの非正規社員は悪い条件で働かされることが多いですし、たとえ正規社員になることができても、非常に長い時間の残業をさせられたり、いつリストラされるかわからないという不安があったり、一生安心して働ける職場、職業が少ないからです。忍耐心がないというのは、会社に入れば一生安心して働くことができた昔の人たちの誤解です。昔、高度成長のころは、我慢して会社にいれば、必ず賃金は上がっていきましたが、今はそうではありません。


ただ、社会に出て働くようになったときに、その仕事・職業が、自分に向いているかどうか、わからない場合が多いのも確かです。ある仕事についたら、とりあえず努力を傾けて働いてみるというのは、案外合理的で、有効な方法ではないかと思います。集中して、努力を傾けてみないと、その仕事・職業が自分に向いているかどうか、わからないことが多いからです。また、努力を傾け、集中しているときには、いろいろな発見があるので、何か重要なことと出会う可能性が大きくなります。


わたしが、小説を書くのが自分に「向いている」と思ったのも、デビューして数年経ってからでした。ある長編小説を、群馬県の温泉町の外れにある山荘で書いていたのですが、そこは非常に寂しい場所でした。周囲には林以外何もないのです。こんなところに遊びで来ても2日間で飽きるだろう、とそう思いました。しかし、結局わたしは、1ヶ月もその山荘に滞在して、小説を書き続けたのです。小説を書くのは好きではないが、ひょっとしたら自分に向いているのかも知れない、と生まれてはじめて気づいた瞬間でした。その小説が完成したのは、わたしが28歳のときです。28歳のそのときに、わたしは作家として生きていこうと決めたのです。

すべての子どもや若者は、どうにかして、死なないで、生きのびていく必要があります。だまされないように、好奇心をつぶされないように、いろいろなものに積極的に興味を示して、子どものころは「好きなこと」に、成長したら「自分に向いている職業」に、出会うことができたらと思います。

新 13歳のハローワーク

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