読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

一年間、僕を支え続けてくれた言葉

上京して一年が経ちました。


とある小説家曰く「自由が至る所に落ちている」と表現した場所での一年間。空気や言葉、人との距離感に戸惑いながら、どうにかこうにか生き抜いてこれました。長かったです。その中で、全てを投げ出したくなっても、それでも自分を見失わないでやってこれたのは、僕が東芝時代、公私ともにお世話になったK先輩からの餞の言葉があったからです。

比嘉なら、どこでもきっと上手くやっていける。大丈夫だ。


2年前、友人はおろか知り合いすらいない大分県で働きだした頃、K先輩と出逢いました。高校卒業と同時に半導体業界に入り、知識・経験など様々な面で尊敬すべき要素を持った方でした。どこか学生の空気を残したまま配属した僕に「責任」を与えてくれ、甘さを許さず、個人として判断に敬意を持って接してくれ、根拠は何だと耳を傾けてくれる人でした。厳しくて、怖くて避けていた時期もありました。でも、偉大な人間性を兼ね備え、仕事のことや特別な女性へのプレゼントについて、何から何まで訊いていました。一番好きな先輩であり、尊敬できる兄のような存在でした。


僕が退職の意向を事務的に上司に伝え終わり、初めて個人的に報告したのがK先輩でした。「何となく分かっていたよ」と反応が返ってきて驚いたのを今でも覚えています。退職が決まっている僕に対して世代別の技術を伝えてくれました。自分の生い立ちから学び取ったことを事細かく話してくれました。小さな送別会を開いてくれました。周囲の有志からお金を集めて餞別をくれました。


「もうそろそろ電話しても大丈夫だろ」と突然電話をくれたこともありました。僕が苦しさをブログに吐露したタイミングと重なっていました。


とてつもない洞察力の持ち主で、邪な考えやその場限りの発言にはとても厳しい人でした。僕が在りたいと思う大人でした。その人がくれた一言にどれだけ僕は支えてもらったか。暗澹たる時期に何度この言葉を信じたか。


上京して僕は二度大分県に「帰省」していますが、まだK先輩とは会っていません。僕はまだ会うに足ることは果たしていないし、何も成し遂げていません。それが申し訳ないと思う訳です。K先輩が「五年後の働いている比嘉を見てみたいな」と、ふと発した言葉にもっと明確な形で応えたいと思っているのです。


あなたの言葉、その言葉に含まれた優しさに何度救われたことか。まだもう少しだけ頼るときもあるかもしれません。「チャックとシャッターを換えましょうか?」と自信なさげにK先輩に質問していた風景を、洒涙雨が降る東京で思い出していました。再会が現実となるように星に願いを込め、前に動き出そうと思います。