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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

赤ワインとオリーブ、そして孤高の挑戦者

出逢い

昨日馬場さん(id:babayuhei)と久々にお酒を酌み交わした。自宅に招き入れてくれ、買い出しをしてきたビールと自宅にあった赤ワインとオリーブ。3時間ほど話をした。


会うのはいつぶりだろうか。記憶の中にある前回の服装を思い浮かべながら、季節が一巡していない程度かなと思う。会うに至った経緯は、個人的にはシンクロニシティではないかと思える。普段帰宅路として利用している道路で工事をしており、仕方なく右折をし、道を確認している最中に馬場さんとすれ違った。右折をしたことで発生した、ほんの数秒の出来事。二日後に約束を取り付けて、その日は握手をしてわかれた。


馬場さんのオフィスから、小雨の中買い出しに向かった。闊達とした足取りがとても印象的だった。それは後ほど馬場さんが発した「大きな改革をしたんだ」というコメントで合点がいった。その意志を反映した道塾のサイトをiPadで見せてくれ、馬場さんの言葉が形になっていることを一人の友人としてとても嬉しくなった。*1

合同会社道塾


どういった流れで至ったかは憶えていないけれど、梅田望夫氏「ウェブ時代 5つの定理」の中からビル・ジョイの言葉を紹介してくれた。(確か)その話の流れで今北純一氏「孤高の挑戦者たち」について軽く触れた。その中にこういった一節がある。

日本のような平準化社会においては、時に、価値規準の極端な偏向化現象が起こり得る。「学歴」は、その最たるもので、社会はもちろん本人までが、「学歴」と「実力」の"二重写し"の錯覚から抜け出せなくなってしまう。その故に、より確実なパスポートを求めて、すべての人間が競争のための競争という、同一の、不毛の受験レースに巻き込まれ、自分の本当の能力の置き場所を見定める暇もないまま、青春のエネルギーを使い果たしてしまう危険性をはらむ。


とはいっても、その巨大な怪物的な慣性にひとり立ち向かい、我が道をゆく、という選択は、比較にならないほどのエネルギーを必要とし、当然猛烈な陣痛を伴う。そのために、学歴社会の弊害について、十分に認識している人間でも、その否定に走るよりは、黙認あるいは消極的肯定という形で反応し、「変革」に対してはどうしても躊躇してしまう、というのが実態ではなかろうか。これは自身の反省を含めて言っているつもりである。


孤高の挑戦者たち―バッテル研究所‐現代のピタゴラス集団 第1部 一匹狼の闘争 p.53 より

まさに馬場さんは「猛烈な陣痛」を通り抜け、改革をしてきたんだと感じた。「比嘉君、村上春樹的ではないけど、何かを得る為には、何かを捨てなくてはいけないんだよ」と挑戦的な笑顔を投げかける目の前の孤高の挑戦者。そして彼が語る、幸せとは何か、社会をより良い方向に変えてみせるというパッションは、僕が抱える些末な悩みを振り切るには十分だった。


かりゆし58「アンマー」

*1:もちろん馬場さんは普段から闊達な人なんだから、そこを繫げるのは勘違いも甚だしいかもしれないけれど。