読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

「いい人」と思われたい、と願うその僕は

これまでは、とくに友人関係にある人には、「いい人」と思われたくて、はっきりお断りする、ということは避けてきましたが、これからは「いい人」より、プロフェッショナリズムを優先しようと思います。
プロフェッショナルとして、あるいは「いい人をやめる:The Power of Words 福田恭子のブログ

この文章を読んだとき、以前江島さんが書いた「人に会わないということ」が頭をよぎった。どういった関係性がそこにあるのか、もしくは何をどう感じて、そこに落ち着いたのか、よく分からない。難しいな。


そのことを考えながらフットサルの筋肉痛を感じていると、一人の友人のことを思い出した。友人と表現していいのだろうか。彼とは学生時代のサッカー部からの付き合いで、社会人になり一緒にプレーする機会ももちろん多かった。「友人」としてはあまり互いに尊厳を手向けることはないと思う。辛辣な表現だが、はっきり言って、あまり話をしたいとも、一緒に酒を酌み交わしたいとも思わない。

だが、しかしだ。サッカーとなると別だ。彼の勝利に対する真摯さやフェアプレーに対する意識、勤勉性、自身に対する貪欲さ。いかなるどの側面においても僕は彼を一人の「プレーヤー」して尊敬している。全く会話すらしないし、普段はもはや目を合わせることはない。でも、半年振りに一緒にプレーをしても彼は僕が欲しいと思う場所にパスをくれる。それは毎回驚いてしまう。これは一体なんだろうか。彼は僕にとって決して「いい人」ではない。端的に言って「嫌な奴」かもしれない。でも、間違いなく僕は彼のプレースタイルに最大限の尊厳を常に抱いている。それはそれでお互いにとって幸せな関係かもしれない。不思議だ。


「いい人」と思われたい、と願うその僕は、僕が嫌いな「僕」。それだけは間違いないと思う。