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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

僕が継続してきたこと

※時間帯も時間帯なので、文章があっちこっち飛んでいます※


先日、とても興味深いトラックバックがあった。どこかで読んだ事のある文章だな、と既知感を抱いた刹那、「4年前の僕」が書いた文章だと気付いた。読みやすいとはお世辞には言えない文章で、過去の自分とは言え、その言葉選びはいささか恥じらいをも感じる。ただ、何か痛々しい焦りの中には、清々しい将来への展望が溢れているような気がする。過去の自分が書いた文章だけど、よくここまで書いたなと褒めたくもなる。


僕は憧れを抱いていた場所に、先月「仕事」として赴いた。これからはそこにいるメンバーと共に(時差を気にしながら)職務をこなす事になるし、必要があればサンフランシスコへ出張をし、そこでコミュニケーションを取る事も大いにありえる。


また出張中には、4年前のシリコンバレー訪問時にお世話になった廣島さん江島さんと夕食を共にした。廣島さんとは別れ際に「最後に交わした握手を憶えていらっしゃいますか?廣島さんの『待ってるから』に4年の時間を要しましたが、約束を果たしにきました」「もちろん。しっかり憶えているよ」と握手を交わしたりもした。うれしかった。


文章にするととてもあっけない。でもそれは僕にとっては大きな達成だと思う反面、まだ物事を振り返るには何も達成していないと諫める言葉が頭をよぎったりもする。心身的なことを正直に言うと、今はとても辛い(まだ全然仕事らしい仕事はしていないが)。新しい環境への適応はもちろんのこと、語学というもうひとつの要因が加わる。ただでさえ下っ端でありながらも、キャッチアップしていくにはまだまだ時間がかかる。毎日が驚きの連続で、苦々しい評価を自分自身に与え続けている。けれど、ふとどこかで「そんな体験、似たようなことがあったな」と感じる。ああ、そうか、ライブドアへの転職と上京が重なったときか、と。そのときも「つらい、つらい」「踏ん張り時だ」と言っていた気がする。状況の変化に伴う自身の反応にあまり差異がないことを考えると、あまり僕は成長していないのかもと、素直に笑えてくる。ただ、達成感に向かう萌芽は、常に僕の気持ちの隅にはある。廣島さんとの握手やTwitter HQ訪問は言うに及ばず、何より家族の反応が一番だ。弟が僕にくれた「兄貴を誇らしく思う」というメッセージは僕を何度も救ってくれると思う。


僕が今の会社に来て、とても心に響いた言葉がある。引用元はかっこいい横文字で形成されているが、僕なりに解釈をすれば「躊躇するな」という言葉に集約される。僕が継続してきたことはまさにこれだと思う。人に何かを伝えるとき、何かを提示するとき、何かを表現するとき。英単語を一日どれだけやったとか、人にどれだけ会ったとか、そんな何か秘策があったわけでもない。本当に何も特別なことではない。「躊躇をしたら負けだ」と抱きながら、日々を過ごしていただけだ。


最後に。
この文章を書いた理由?1年後にこの文章を読んで「何を言っていたんだ、オレは」と笑い飛ばしてやりたいからです。まくとぅそーけーなんくるないさ。

flumpool - 花になれ