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読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

とあるゴールからの教訓。信じてもできるとは限らないが、信じないとできない。

毎週愛読している footballista 第252号より。ちょっと長いですが、今の自分自身の状況や心情と重なる部分が多く、心に響いたので引用します。ちなみに俎上のゴールは動画の3分15秒あたりです。


footballista』主義


走り込んだムニアインデ・ヘアと交錯し、マンチェスターUゴールが揺れた時、一瞬どこから来たのかわからなかった。ビデオで見ると、デ・マルコスのシュートが弾かれた瞬間のムニアインは、まだペナルティエリアの向こう。そこから20m近く猛ダッシュして、デ・ヘアやラファエウより先にゴールエリア内にこぼれたボールに触ったのだ。
やはりムニアインは凄い。何が凄いったって信じる力が凄い
目と鼻の先にあるボールに反応しなかったGKとSBの油断は責められるべきかもしれないが、その隙を巧妙に突いたゴールではなかった。そもそも変に賢かったら、あそこは足を止め守備に切り替えているところだろう。それが妥当な状況判断というもので、ムニアインにはそれを凡庸と笑えるところがある。


全力疾走までのステップ


私は全力疾走する選手が好きだ。とはいえ、ただ走るだけの選手は嫌いだ。
賢くて、全力で行ける選手が大好きなのだ。
1) 何も考えない選手は「走れ」と命令されれば、走る。2) ちょっと考える選手は「無駄だから」とか「疲れた」を言い訳に、走るフリをする。そして、監督に見破られて怒られる。3) かなり賢い選手は、状況に応じて流すところと全力で行くところを使い分け、判断が適切だから監督にも怒られない。4) 本当にすごい選手は、監督が思ってもいないところで走り、本人だけに見えていたプレーを実現する。ムニアインはここにいる。
うちのチームの子供の大半は、1) 何も考えない派と2) ちょっと考える派だが、両者の扱いには大きな差がある。2) は試合に出られず、1) は出られるのだ。走らないとサッカーにならない。スピードは関係ない。俊足は俊足なりに、鈍足は鈍足なりに100%であればいい。
グラウンドを周回させたりすると、「子供っていいなぁ」と思う。「子供騙し」という表現通り、子供ってのはちょっとだけしか賢くないから、靴紐を結ぶフリをしたり、せこくコーナーを小さく回ったりとかまあいろいろ繰り出してくる。それで大人が騙せると思っているところが、可愛い。実は別にフィジカルを鍛えるだけなら走らせる必要はなく、いろいろな道具を使った楽しいサーキットトレーニングなんかも用意しているのだが、あえてやる。なぜなら、本当の賢さとは将来の目標のために今の苦しさを我慢することで、その重要さに気づかせたいからだ
これが体験的にわかると3) に行ける。全力で走ってみたらゴールが決められた、悔いが残らなかったなんてポジティブな経験をするうちに、習慣として身につくのだ。(中略)面白いのは、1) -> 3) のステップアップの方が、2) -> 3) のステップアップよりもスムースなことだ。頭を説得するより、体や心を説得する方が楽なのだ


限界を決めるプライド


全力で走らない子に共通しているのは、変なプライドがあること。というか、何かに100%取り組めないのは、大人も含めて全部、これじゃないのか
プライドには立派なものとくだらないものがあり、くだらないものを守るために何かができない、しないというのは人生の損である。ムニアインが “オールドトラフォードで空走りはかっこ悪い” とチラッとでも考えていたら、あのボールには届いていない。
私の場合は全力疾走ではなく、踊りだった。“ケッ、あんなもん” という自らの舌打ちからu抜け出すのに50年近くを要した。(中略)堂々としていると、うまく見える。100%熱中している姿は、人を打つ。こういうポジティブな体験によって殻は壊れ、知らない世界の窓が開く。“なんだ、できるじゃん” と発見する。
想えばサッカーなんてやったこともほとんどなかったのに、いきなりスペインで指導を始めた時もそうだった。
正直に言えば、“できる“ とは思っていなかったが、もうライセンス受かっちゃってチームをあてがわれ、やらざるを得ない状況に追い込まれていた。不安や心配をすべてないことにして、グラウンドに出るしかなかった。
信じてもできるとは限らないが、信じないとできない
ムニアインが好きなのは、信じる力が好きなのだ


嵐 - movin' on