読谷の飛行場に想う。

躊躇したら負けなので、とりあえずベンチプレス100㌕を目標にしています。

「風俗嬢の見えない孤立」からみる、アンコンシャス・バイアスとの距離感

風俗嬢の見えない孤立 (光文社新書)

風俗嬢の見えない孤立 (光文社新書)

「貧困が理由で、風俗嬢になる女性が増えている。これは大きな社会問題だ」。近年、こうした論旨の報道やルポをよく見かけます。特に2014〜2016年頃は、「貧困×風俗嬢コンテンツブーム」だったと総括してもいいような取り上げ方でした。(p.82)

でも僕は、当事者の支援に関わってきた人間として、こうした報道・ルポのあり方自体に、大きなジレンマを感じてきました。
「貧困×風俗嬢」コンテンツは、「風俗嬢たちは苦しんでいる」と主張します。そしてその苦しみの内容を、「貧困が原因で、風俗嬢(などという悲惨な仕事)をせざるを得なかったこと」に絞ろうとします。こうした番組や記事だけを見ると、まるで風俗嬢というのは、全員が貧困の被害者で、夜の世界で搾取されており、今まさに「不幸」な状態にあるように錯覚してしまします。(p.83−84)


上記にあるように、近年「貧困×風俗嬢」コンテンツを良く見かけるようになった。個人的には、地元沖縄の記事はとても印象に残っている。
toyokeizai.net

そういった背景から、この問題については関心を傾けていたのだが、本書にある「錯覚」にまさに陥っていたことに気付いた。そして何故、そのような錯覚に至ったかを爆煙の表現は非常に的を得ていてた。

どうして風俗という言葉がこれほど威力を持っているのかといえば、この爆竹があげる煙の「色」があまりにも濃いからでしょう。爆竹の色は、二色に分かれています。一つはピンク。つまり「エロ」です。そしてもう一つは黒。ヤクザ、ドラッグの売人といったアウトローの人々、あるいは恐喝、詐欺、暴力など「犯罪」そのもののイメージです。この二色の爆煙が厚く取り巻いているせいで、夜の世界の見通しは非常に悪いものになっています。そして、「煙の向こうで銃声がした」「泣き叫ぶ女性の姿がチラッと見えた気がする」など、不確かな情報ばかりが拡散されていく。(p.27)

本書はそうした「錯覚」や不幸な状態にある人たち”であろう”と先入観を持ち、支援する側の自己陶酔といった類に「陥らないために必要なのは、強い意志力でも謙虚さでもありません。課題と目標を明確に設定し、その達成のための効果的な仕組みを作るビジネスセンスです。それがないからこそ、自分のプライドや快楽など、感覚的な飢えが先走ってしまうのでしょう。(p.171)」と一蹴する。自分自身のアンコンシャス・バイアスを知ることができ、非常に学びが多かった。以下、気になった部分の引用となります。

目に映る何かに対しての思い込みというものは殆どの場合、自分自身にも跳ね返ってくるものだから。つまり思い込みの除去というのは、その対象が何であれ、すべて「自分のため」の行為だと思うのです。たとえば異性に対しての思い込みは、同性に対しての思い込みと表裏一体です。「女性はヒステリックなものだ」という価値観が、「男性である自分たちは、感情的になるべきでない」という価値観の裏返しであるように。(p.17)

風俗店が「しんどい」女性を吸収しやすい理由はたった一つ。彼らが、「女性を集める」という目的のためだけに、湯水のようにお金と労力を使っているからです。もちろん、非合法な方法にお金を使っているわけではありません。純粋に広告戦略に多大なコストをかけているのです。(p.177-178)

自己紹介とともに、過去を開示することが当たり前。開示できるような、まっとうな過去を歩んできていることが当たり前。これが、日本社会に底に流れている価値観です。「まっとうな生き方・働き方」が設定されているからこそ、自己紹介の場で、そのルートを踏んできたことの証明を求められる。風俗嬢は、それに応える言葉をまったく持っていない人々です。所属先はなく、働き方も曖昧で、存在としてとらえどころがありません。(p.212-213)

これからの社会をよくするのは、「どうしてそんなことをしていたんだ」という詰問ではなく、「今、どうしてほしい?」という問いかけです。誰もが身近な人にそう問いかけられる社会になれば、「次に進めない」人はきっと、夜の世界からも昼の世界からも格段に減るでしょう。(p.227)